東京地方裁判所 昭和35年(行)97号 判決 1961年3月06日
原告 片倉ハドソン靴下株式会社
被告 特許庁長官
主文
原告が昭和三五年三月二九日付で商標「キヤロン」この商標を使用する商品「第三〇類織物」と指定した商標登録の出願につき被告が同年同月三一日付でした不受理処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因及び被告の主張に対する反論として次のとおり述べた。
一、原告は、高級婦人靴下の製造販売等を業とするものであるが、その商品の標章に使用するため、昭和三五年三月二九日付商標登録願書により、商標「キヤロン」、この商標を使用する商品「第三〇類織物」と指定して、代理人市川理吉より、右同日被告に対し、商標見本のほか委任状を添付のうえ郵便に付して商標登録の出願をしたところ、被告は同月三一日付で「商標法施行規則第六条の二第六号(同法施行規則第一六条の規定により準用する特許法施行規則第一〇条の二第一一号)に該当する。(註)願書の代理人の記名の次に捺印して出願しなければならい。」との理由により受理しない旨の処分をし、原告は同年四月一三日右不受理処分書の送達をうけた。
二、しかしながら本件不受理処分は次に述べるとおり違法である。商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号。昭和三五年通商産業省令第一二号によつて廃止されたもの。以下同じ。)第六条の二第六号は、同規則第一六条の規定により準用する特許法施行規則(大正一〇年農商務省令第三三号。昭和三五年通商産業省令第一〇号によつて廃止されたもの。以下同じ。)第一〇条の二第一号ないし第四号、第六号ないし第九号及び第一一号のいずれかに規定する場合には特許庁長官は出願等を受理しないものと規定し、特許法施行規則第一〇条の二第一一号は、「前各号に掲ぐるものの外特許法又は本則に定めたる方式に著しく違背したる場合」と定めているので、これらの規定によつて被告は、商標法(昭和三四年法律第一二八号によつて廃止されたもの。以下同じ)及び同法施行規則に定めた方式に著しく違背する出願を受理しないことができるわけである。
ところで、本件商標登録出願書の代理人市川理吉の記名の次に捺印がないことは被告の指摘するとおりである。しかし本件出願書類には、代理人市川の印が全く押印されていないのではなく、市川の印は各葉の割印全部、商標見本についての割印、削除印等多くの個所に押印されており、ことに代理人の記名の次の右斜上方に押された削除印は、代理人の記名の次の印と錯覚される程の位置にある(事実、市川も、この削除印を記名の次の印と誤認して、記名の次の印を施し忘れたのである。)のであつて、委任状とあわせて出願書類全体から客観的にみれば、代理人としての出願の意思表示が願書に表示されているものとみるのに少しも妨げないというべきである。しかも、本件出願書類は、原告からの他の一件の商標登録出願書類とともに、あわせて二件分を一括して代理人市川理吉から前記昭和三五年三月二九日書留郵便に付して被告宛郵送されたものであつて、したがつて右二件の出願は特許庁において同一人によつて同時に方式審査を受けたものと推察されるが、右別件の方は受理され目下審査係属中なのである。そうだとすれば、本件出願書類には所定の捺印が落ちていても、同時に提出された右別件の出願書類からすれば、本件出願書類に割印、削除印として押された市川の印が真実市川理吉の印であることは容易にわかつたはずである。以上いずれにしても、代理人市川の印が全く押印されていない場合なら或いは著しい方式違背ということができるかもしれないが、右のような実情にある本件出願書類においては、単に代理人市川理吉の記名の次に捺印がないことをとらえて著しい方式違背なりとすることはとうてい許されないことというべきである。
三、被告が従来、著しい方式違背と認める場合の標準として特許庁例規なるものを定め、これに基いて受理、不受理の取扱をしてきたこと、右例規が出願人(代理人によるときは代理人)の捺印が記名の次にない願書をもつて出願した場合を不受理の事由に挙げており、本件不受理処分もこれに基いてなされたものであることは認めるが、本件のように出願の際に提出された願書全体から客観的に代理人の権限を有する者の印であるとみられる印が押捺されている場合には、単に記名の次の印を欠くというだけでこれを著しい方式違背とすることはできないと解すべきであるし、その他にも右例規中には、特許法施行規則にいう著しい方式違背には該当しないと考えるべき事項が含まれている。すなわち、例規中に挙げられている(1)収入印紙によらざる手数料を附した出願、(2)鉛筆又は青写真等消え易いものを用いて作成した書面(図面を除く)をもつてなした出願、(3)二以上の類別を記載した商標出願、はいずれも著しい方式違背には該らないというべきである。けだし、(1)について被告がこれを後に例規中から削除したのは、これが著しい方式違背に該らないことを被告自らが認めていたからに外ならないし、(3)については、錯誤により二以上の類別に亘る二以上の商品を指定した商標出願は願書を訂正し二以上の出願とすることができる(商標法施行規則第二条)にもかかわらず、二以上の類別を記載したために分割はおろかその出願すら不受理とされるのは明らかに行過ぎであるからである。のみならず、被告は従来から右例規に該当する書類であつても、場合によつては不受理処分を行わず、訂正補充の指令を発して追完を許すこととしている。これすなわち被告自らが例規の不当なることを認めているからに外ならない。
被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び被告の主張として次のとおり述べた。
一、原告が昭和三五年三月二九日「キヤロン」なる商標について被告に対し商標登録出願をしたこと、同月三一日付で被告が原告に対し同出願の不受理処分をしたことはいずれも争わない。
二、特許法施行規則第一〇条の二第一一号、商標法施行規則第六条の二第六号等の規定により、著しい方式違背と認め出願等を不受理とする場合の標準につき、被告は従来不受理に関する特許庁例規を定め、これに基いて受理、不受理の取扱をしてきたものであるが、右例規は、特許出願、商標登録出願等に共通する不受理事由として、出願人(代理人によるときは代理人)の捺印が記名の次にない願書をもつて出願した場合を挙げている。すなわち、商標登録出願についていえば、商標法施行規則第一条第四項により別表第一によつて商標登録出願の様式が定められており、代理人の氏名(名称)の次に捺印しなければならないことになつているが、被告は、右規定の違背をもつて著しい方式違背と考え、そのように従来取扱つていたのである。ところで本件商標登録出願書には代理人市川理吉の記名の次に捺印がなされてない。もつとも市川の印が原告主張のように割印、削除印として押印されていることは事実であるが、そもそも割印ないし削除印は代理人の記名の次の捺印と同一であつてはじめて効力を生ずるものであつて、本件のように記名の次の捺印がない場合は、割印、削除印が市川理吉の印であるかどうか判明せず、したがつて正当なものと認めることはできないのである。捺印を重要視する我国の法制、慣習からは右のように解せざるをえないのであつて、被告は従来から一貫してこのような取扱いをしているのである。
立証として、原告は甲第一号証ないし第四号証を提出したが、被告は右甲号証の成立に対する認否をしない。
理由
請求原因の第一項の事実は、原告が昭和三五年三月二九日「キヤロン」なる商標について被告に対し商標登録出願をしたこと、被告が同月三一日付で原告に対し同出願の不受理処分をしたことは当事者間に争がなく、その余の事実は被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。
ところで、商標登録の出願等が商標法及び同法施行規則に定める方式に著しく違背する場合には、同施行規則第六条の二第六号(同施行規則第一六条の規定により準用する特許法施行規則第一〇条の二第一一号)により、被告はこれを受理しないことができるものとされているが、右方式の違背が著しくない場合は直ちにこれを不受理処分にすることは許されず、同施行規則第一六条、特許法施行規則第一一条により、期間を指定して訂正補充を命じなければならないこととされている。
そこで、被告のなした本件不受理処分が違法であるかどうか、換言すれば、本件商標登録出願に右著しい方式違背と目すべき瑕疵が存するかどうかについて考えてみる。
商標登録出願は、商標法施行規則第一六条特許法施行規則第一条によれば書面によつてすべきこと、書面は一件毎に一通を作りこれを差出人の住所又は居所及び差出の年月日を記載し差出人が記名捺印すべきこととされ、更に、商標法施行規則第一条四項によれば願書は別表第一をもつて定める様式により作成すべきこととされている。ところで、本件登録願書であることについて被告が明らかに争わないからこれを自白したものとみなす甲第一号証によれば、差出人たる出願代理人市川理吉の記名の次になさるべき捺印を欠いている外は、願書の右上方に貼られた商標見本と願書との間の割印、願書と添付書類との間及び添付書類各葉の間の割印、削除字(行)数の記載とこれに対する捺印等、右様式に定められたその余の差出人の押印はすべて施されていることが認められ、右削除印の施されている位置からすれば、原告主張のように、差出人市川は自らなしたこの削除印を記名の次の印と誤認して記名の次の印を施し忘れたものにすぎないと推測されなくはないのである。のみならず、前記甲第一号証に弁論の全趣旨を総合すると、本件登録出願は、もう一件の商標登録出願と同時に、すなわち本件出願書には(B)、他の出願書には(A)とそれぞれ符号を区別したうえで、代理人市川理吉からなされたものであるが、右(A)出願書には方式違背が存しなかつたため受理されたものであることが認められるのであつて、この事実からすれば、右(A)出願書には市川理吉の記名の次の捺印も具備されていたこと、右二項の出願書類に対しては同時に受理、不受理の審査がなされたことが容易に推定される。してみれば、右審査に際しては、(A)出願書の記名の次の印と対比すれば本件出願書の割印、削除印が市川の印であることは容易に判明し、したがつて本件出願が市川によつて真正になされたものであろうとの心証はこれを容易に抱き得た筈というべきである。もつとも、差出人の記名の次の押印は、該出願自体が差出人の意思にもとずく真正の出願であることを担保するために要求されるものであつて、その余の割印、削除印等は、右記名の次の印と同一であつて初めてそれぞれの効力を生ずるものにすぎず、したがつて記名の次の印を欠く以上その余の押印はその効力を生ずるに由ないものというべきであることは被告主張のとおりであり、等しく差出人の押印ではあるが両者はその果す役割において大きな違いがあり、しかも右のとおり記名の次の印が出願自体の真正を担保するための基本的なものとみられる(商標法施行規則が、等しく差出人の押印のうちでも割印等は別表様式の定めるところにこれを委ねながらら、願書差出人の記名捺印は本則においてこれを要求し規定しているのも、後者の押印が基本的なものとみられるからに外ならない。)ことからすれば、それを欠くことは、前記のように著しい方式違背としからざる方式違背とを区別して取扱うべきものとする建前のもとでは、その余の割印等を欠くにすぎない場合と異なり、原則としては著しい方式違背に該るものといわざるを得ないであろう(因みに、現行の新特許法、商標法のもとでは、著しい方式違背を理由に、補正を命ずることなく直ちに不受理とする前記不受理制度は廃止された。)。しかしながら、前認定のような実情にある本件出願書に対しては、一般に記名の次に押印を欠く場合と直ちに同一視するのは妥当でなく、本件出願書は、右理由を以て著しい方式違背に該当するとなし、直ちに不受理処分にすることは許されず違法であると解するのが相当である。
よつて本件出願書類を商標法施行規則第六条の二第六号(同施行規則第一六条により準用する特許法施行規則第一〇条の二第一一号)により不受理とした被告の処分は違法というべきであるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 下門祥人 桜井敏雄)